2012年10月14日日曜日

熊野 : 飛鳥神社

那智大社に向かおうとしていたところを明日にし、
鯨所縁の神社にご挨拶することに。

漁港の隣にある「太地の氏神」で、豫母津事解男命(よもつことさがおのみこと)をお祀りし、昔から「宮様」と呼ばれ地域の人に親しまれてきた飛鳥神社へと。

飛鳥神社 【和歌山県神社庁HPより】
祭神

  • 予母津事解男
    境内社
  • 日知神社(瓊瓊杵尊) 天神社(菅原道真) 地主神社(大己貴神) 稲荷神社(保食神) 太地護国神社(護国神)
    社宝
  • 長さ四尺八寸の薙刀のような太刀一振「太刀落島(通称)」、付近の海上(太地町の沖合)で、往昔、海老網にかかったのを、漁師が神社に奉納したと伝えられている。海水の為、相当腐蝕している。平維盛が海中に投じた太刀であるとの説である。 36歌仙の扁額年代作者奉納者等不詳。明治3年の暴風雨の時、散逸し、26枚現存。
    指定文化財
  • 飛鳥神社本殿(町指定) 総漆塗  屋根裏朱塗桝形彩色  元禄三(1690)年10月頃の建築 内務省神社局の谷技師の鑑定(昭和12年10月)によれば、建築様式は、徳川初期に於ける桃山建築の粹を採り入れたるものである。
    由来
  • 当社は、寛永元(一六二四)年八月に現新宮市熊野地に鎮まり坐す阿須賀神社より勧請、棟札に「寛永元年子八日、太地諸衆等時の庄屋和田金右衛門」とあり、又、﹃紀伊風土記﹄には、「飛鳥神社本社、拝殿、末社、村中浜辺にあり、村中の産土神なり云々」とあるが、それ以前より氏神が祀られていたことは、天慶五(八八一)年陽成天皇の頃の丁未記に「辛丑五年六日、高倉上人、氏神復興、事解男命を祭る。
    旧九月八日縁日」と記載されていることから、うかがうことができる。

    (例祭)十月十四日(宵宮祭)午後八時から午後十一時頃まで
     特色1樽みこし(大樽、小樽)にご神霊が宿られて頭屋祭後、町内ご巡幸、神社へ還御。
    2掛魚(椎の木に小鰺二匹をつけたもの)を一本ずつ持っての稚児(男児)行列、又、女児は栗を入れた小袋を頭に戴いての行列、参進。
    3鯨の身に模したもの(ザクロの粒と鯨の皮で大皿に造型)を、頭屋で参列者全員が拝戴。
    4あたがし(魚)を捧げた一人の総代が、渡御行列の後から、駆足で追いつき追い越して神社へ参進、献上。
    5古式の料理(わり菜、鯨の皮の入った吸物)を直会で戴く。
    (神社社務所)6檜材の炬火に護られての神輿渡御への参加者は、約七十名、掛声は「ハラエイヤハラエイヤ」、成人男子 顔に化粧し襦袢の装束(右は、いづれも、宵宮祭の時の状況)。
    7神饌・赤飯・甘酒・他(両日共)。





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