2012年10月14日日曜日

熊野 : 潮御崎神社

日本列島最南端に向かう途中にご挨拶させていただいたのは
潮御崎神社:しおのみさきじんじゃ
烏がお出迎え♪

潮御崎神社【和歌山県神社庁HPより】
祭神

  • (主祭神)少彦名命 (配祀神)金山彦命 高皇産霊神 天照大神 大国主命 猿田彦命
    境内社
  • 金刀比羅神社 鎮守神社 大神社 大己貴神社 猿田彦神社
    指定文化財
  • 潮御崎神社棟札(町指定)  潮御崎神社御弓式(町指定)
    由来
  • 記紀にいう当地御崎は、少彦名命熊野御崎より常世国に渡り給うたという聖地で、景行天皇二十八(九八)年御崎の「静之窟」内に少彦名命を勧請したのに始り、その後潮崎安磨「静之峯」に遷座した。
    しかし、貞観十二(八七一)年五月に潮崎安守は、さらに「潮見の端」へ遷座したと伝えられる。
     また、当社は貞観十七(八七五)年十月の三代実録にみえる三前神で神位従五位下に敍せられたという。
    江戸時代は御崎大明神社とか御崎明神といわれ、また周参見より下田原に至る十八ヵ浦の総産土神として崇敬されていた。
     さらに当社には既に寛永十四(一六三七)年の古文書にも見られる十八ヵ浦の鰹漁の船主・船頭が毎年旧正月・五月・九月の十八日に潮御崎神社に集り神官の立会で鰹漁に関する規約を確め、海上安全豊漁祈願を重ねる岬会合「鰹漁に関する約束ごと」を戦前まで行ってきた。
     当社の両部神道による本地仏が観音であったことから潮御崎大明神とか御崎観音ともいわれ西国巡礼者からも敬われた。
    明治初(一八六八)年社名を潮御崎神社に改称、同二年境内地を灯台建設のために日本政府より求められて、旧社地といわれる現在の地、静之峰に遷宮した。
    同六年四月村社となる。
    同三十一年六月社殿の改築、同四十年四月神饌幣帛料供進社に指定される。
    昭和五十八年社殿大修理が十月で終了する。
    (例祭)本州最南端に鎮座する潮御崎神社の秋の例祭には氏子による獅子舞が奉納され、また太平洋を臨む広々とした望楼の芝生で舞う獅子舞は勇壮華麗である。
    社号 潮御崎神社古来 熊野御崎神社 御崎大明神 御崎観音 水崎明神として世 に伝えられた。
    祭神信仰 
    少彦名命は医薬治療の道を始め給うた神として世人の祈念を集め、海外発 展の神として海外渡航者、海運業者、漁業関係者に広く祈願されてきた。又鳥虫害を除く法を始めた神として農業関係者の崇敬を集めた。 岬会合 江戸時代初期寛永の頃には既に慣例の行事として、周参見より下田原に至る十八ヶ浦の鰹漁の船頭達が毎年旧正月、五月、九月の毎十八日に潮御崎神社に参集し 鰹漁に関する規約が協議協定され、神の御名に於いて遵守された。明治三五年七月法的根拠の上に立つ漁業組合が成立する母胎となった数百年の輝やかしい歴史を持つ岬 会合である。黒潮が最も接近する潮岬沖は郡遊する鰹の宝庫であって十八ヶ浦の漁師達は潮岬沖を指して鰹漁を競った。漁場を一望に見渡す潮御崎神社は共同の守護神と して篤い尊崇を集めて来た。
  • 御製歌 花山法皇 潮御崎神社行事の節。此処にます 神に手向の幣帛なれや 潮の 御崎に寄する白波。
     白河天皇行幸の節。あなうれし 難波の宮のこと問はん 潮の御崎の御綱柏に。









  • いつもの合図のように白黒のニャンコ先生登場♪


    潮御崎神社社領地であり、禁足地である神域、高塚の森:巨石太陽祭祀遺跡といわれる潮岬。
    夏至の黄道が貫通する希なる場所。
    のちの神武天皇の進軍を阻んだ天然の砦、天磐楯・・・
    いつかまた見参させていただきたい場所です。
    (ワタクシ、結局我慢できず^^;ロープ伝いに岬の突端へ)














     一羽が丹羽に・・・
    潮御崎神社のある「潮岬」は二つの地区からなっており、西側が「潮岬」、東側が、「出雲」というそうです。

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