2012年10月5日金曜日

『神社おそうじ隊』 まもなく「熊野」へ見参!

今月14日~16日で、「日本第一大霊験」とも称される「熊野」へ、『神社おそうじ隊』は見参いたします。


「日本書紀」によると、国産みの最後に陰部を焼かれて死んだイザナミ神は、熊野の有馬村に葬られたという(「古事記」では出雲国と伯耆国の境とする)。
また、兄の八十神たちに迫害されたオホクニヌシ神が逃げ込んだ先も「木の国(紀伊国)」で、さらにそこから死者の国である「根の堅州国」へ逃れている。
これらの神話からもわかるように、熊野は死の世界に隣り合った異界と捉えられてきた。
平安時代以降、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が隆盛し、阿弥陀・薬師・観音の浄土と信じられるようになったのも、こうした信仰が基盤にあったからといえる。(「こんなに面白い日本の神話」より)

また、

熊野は、歴史を通じて、生命の根源的なイメージに包まれている。そして、熊野三山と呼ばれる熊野本宮大社、熊野速玉大社(新宮)、それに熊野那智大社は、三社一体の関係のなかで、その熊野という世界を構成してきた。
熊野本宮大社は家津御子大神、熊野速玉神社は熊野速玉大神、そして熊野那智大社は熊野夫須美大神を、それぞれの主祭神として祀っている。
これらの神々は、記紀神話には登場しない。だが、本宮の家津御子大神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)であり、那智大社の熊野夫須美大神は伊弉冉尊(イザナミノミコト)のことであるとされる。また、速玉大神は、『日本書紀』の一書に伊弉諾尊(イザナギノミコト)が伊弉冉尊と決別した時に吐いた唾から生じたと伝えられる速玉之男(ハヤタマノオ)と同一の神ともいわれている。だが、そのような解釈とは別に、個別に三社の神々を見れば、それぞれ風土に根ざし、生命に深く関わる性格を持っていることに気付くのである。(「日本神さま事典」より)
(注…ここでは、速玉大神=速玉之男という説を取り上げていますが、熊野速玉大社のウェブサイトでは、熊野速玉大神=イザナギノミコトとしてあります)



三社一体として機能する熊野三山。
日本列島をひとつの「カラダ」として捉えた場合、先だって見参させていただいた近江を「臍」とすると、熊野はいわば「腰」。

人間の身体において、動きの根本にあるのは腰。

腰は、文字通りの「要(かなめ)」です。
「腰を落とす」ことで体幹の安定を図り、「腰が据わる」ことで「肚」に力が満ち、動じない心が生じます。
身体、心の両面の安定と充実は、ひとえに腰の在り方にあるといっても決して言い過ぎではないでしょう。
人間は、腰が弱ると口先だけで行動が伴わなくなりますし、腰に力が漲れば泰然自若、快活な動きと揺るがぬ精神を内に宿します。



今回の「番外編・熊野」は、国産みの父母に、敬意と感謝を込めたご挨拶を。


御参加の皆様、何とぞ宜しくお願いいたします。

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