2012年10月14日日曜日

錬達叡々: 神社おそうじ隊、熊野見参!その3

2012.10.14~16 『 神社おそうじ隊 見参! 番外編・熊野』~その3~

2012-10-23 | 神社おそうじ隊 番外編・熊野

捕鯨で知られる太地町。

「飛鳥神社」
太地町では、「お宮様」と呼ばれている神社。








そのすぐそばに

「恵比寿(蛭子)神社」
手前にそびえるような立っている鳥居は、なんと鯨の骨。
だいたい現在3メートル、かつてはこの3倍はあったという。。。





そして、車でほどなく行ったところに、

「蛭子神社」







港町だけに、漁業・生産のカミサマとして祀られています。

日本神話で好きな神様は?と聞かれて「ヒルコ」と答える学生は少なくない。イザナギ・イザナミの最初の結婚で、女神イザナミが先に「あなにやし えをとこを」と、「女人(をみな)の言先(ことさきだ)ちしはよくあらず」と産まれたヒルコは葦船に入れて流し棄てられてしまう(記)。また三歳になっても足が立たなかったのでクスノキの船に乗せて、風のままに放逐したとある(紀)。親に棄てられる哀れな神の姿には、学生の心にひっかかるものがあるのだろう。神話学的にはヒルコは「ヒルメ」(太陽の女神)とペアとなった、もうひとつの太陽神という議論もあるが、なんといっても興味深いのは、『記紀』から消失したヒルコの「その後」の変貌である。
南北朝の動乱を描く、有名な軍記物『太平記』のなかに、その後のヒルコが出てくる。「日本紀の家」と呼ばれる『日本書紀』研究の一族である卜部氏の兼員が語った「日本紀」のなかで「蛭子と申すは、今の西宮の大明神にて坐す」とあった。葦船に乗って漂流したヒルコは、西宮神社に流れ着き、神として祀られたということだ。親に捨てられた哀れなヒルコは、エビス神として再生したのである。
また別の中世テキストでは、ヒルコは龍宮に流れ着き、龍神に育てられたという話もある。アマテラスと再会したヒルコ(『日本書紀』ではアマテラスとヒルコは姉妹として産まれる)は、親に捨てられ、龍神に育てられたおまえは「下生」の神と蔑まれるくだりもある(『古今和歌集序聞書三流抄』)。
なぜ龍宮、龍神に育てられたヒルコは軽蔑されるのか.それは中世の仏教教義にもとづく。
『法華経』などによれば、「龍宮」とは煩悩にまみれた下等な龍蓄・龍属が棲む世界であった。「浦島太郎」の昔話では龍宮城は欲望を満たしてくれる理想世界であるが、仏教から見れば、果てしない欲望にまみれて苦しむ世界ということになる。
その苦の象徴が龍属であり、サーガラ龍王の娘=龍女であった。けれども仏教は「龍宮」という無明・煩悩の本源は、「悟り」の世界へと導くものであると逆転させていくのである。それゆえ、中世神話のなかでヒルコは、下等な龍宮で育てられながら、海の世界を支配する西宮のエビス神へと転生することになるわけだ。
ヒルコからエビス神へと再生する神話は、民俗信仰の世界にも広まっている。民俗信仰では、浜辺に打ち寄せられた特別な形の石、クジラ、イルカなどを「エビス」と呼ぶ、また漁の最中に漂流する水死体を発見すると、それを「エビス」として丁寧に祀る習俗があった。葦船で流されたヒルコはまさに「水死体」ということだ。水死体という穢れのパワーを「福神」へと逆転させるメカニズム、である。(「歴史読本」2011年11月号より斉藤英喜・佛教大学教授の論考から抜粋)



そして、初日の宿へと。
途中参拝させていただけたのは…


「八幡神社(勝浦)」
勝浦の港を正面に、例大祭が「男祭り」として有名。








この日の宿は、「ホテル浦島」
大洞窟温泉などを有する、広大なホテルでした。

夜の宴は、「ホテル浦島」内の「海つばめ」へ。
厳選された地酒と、地元の海の幸。
こちらの要望を快く受け入れてくだり、また期待以上の料理(鹿肉の燻製やマイルカなど)の数々。

みな、大満足で初日を終えることができました…。



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