2013年6月27日木曜日

錬達叡々: 2013.6.5~6 神社おそうじ隊 見参!福島ご当地隊 その4

 2013-06-27 | 201306福島ご当地隊

『史跡若松城址・鶴ヶ城(若松城)』
「鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。」
(「会津若松観光ナビ」より抜粋)


「ご当地隊」では、その地、その場で生まれ育った、あるいはその地を拠点とされている方にナビゲートしていただきつつ、神社巡拝させていただいています。
今回は、福島(会津)。
福島県というと、東北地方太平洋沖地震以来、特に原発事故から派生した諸々の事象により、往々にしてネガティブなイメージを重ねてしまいがちかもしれません。
確かに、農作物、畜産、その他さまざまな生産物が線量云々とメディアで取り沙汰されるものですから、よく考えなければ一般的な感覚としては避けたいような気持ちも出るのかもしれません…ね(まあ、ワタクシ的にはそれはどうかと思っていますが)。
ご当地隊・Tさんは「福島のヒトは耐え忍ぶ気風」というようなコトを云われていましたけれど…。
そのTさんは、震災後小さなお子さんとご主人とともに、ご家族揃ってご実家のある福島県に戻られました。
この辺りに、Tさんの気骨が顕れているように、思います。


先日伺った茨城県でも、実際に津波の被害に合った方々と触れることもできましたし、その現場にも身と心を運ぶ機会がありました。
そこでも思ったことですが、やっぱり、その現地にいる方々というのは、元気なんですよね

騒動が起きて、アレコレと騒ぎ回るのは、だいたいの場合当事者以外。
思惑を交錯させ、あちらこちらに綱を引くその手さばきの、大元をしかと見つめていこう…。




「土津神社」への道すがらにある「稲川酒造」
そのこだわりの逸品、「七重郎」は、ご当地隊・Tさんのオススメということもあり、今回二度目の酒蔵訪問…。
…と、時間の都合で購入だけということに…


「七重郎」純米吟醸無濾過原酒
触った瞬間に、「あ、コレは…」と思った代物。
まだ開けていませんけれど…愉しみです

それから、「赤ベコ○○○」を、Tさんの熱心な勧めにより購入し、目指すは…

「会津大塚山古墳」

視線の先には磐梯山。

何名かの方が、「手がビリビリする」といわれていましたが、やはりコチラはそういう場。
東北地方を代表する古墳時代前期の前方後円墳とされています。


さて、今回のご当地隊の最終巡拝地は、「鶴ヶ城」でした。
正確には、お城の周囲にある神社、ということになります。


『鶴ヶ城稲荷神社』
御祭神は宇迦魂命。


そして、

『笠間稲荷神社』
への参拝を。




福島ご当地隊。
神社はもちろん、おコメもお野菜も山菜も美味しく、そこに広がる自然も静逸でありつつも、声が聞こえてきそうな気がするほどに感覚に訴えかけてくるものがありました。
やわらかい…のですね。。
「また来てください、待っちぇんかんな~(だったかな)」という方言も何だかいい感じに耳に残っています。
今度は奥会津~喜多方かな。。
磐城の方にも、是非身と心を運びたいと、思っています

今回のご当地隊・Tさんには、本当にお世話になりました。
ありがとうございました
またの再会を愉しみにしております。





そして、次回の「神社おそうじ隊 見参!」は、八月。
八日・九日諏訪へと見参!いたします
十月(予定)には出羽も控えています。
お申し込み・お問い合わせはコチラへ、お願いいたします。



オマケ:


会津若松駅にて。


オマケ2


後日、送ってきていただいた『央 純米大吟醸袋垂れ』曙酒造
五百万石を使用した、飲み易くも味わい深いお酒でした。
ちなみに、「一生青春」(←お酒の銘柄)という箱に梱包してありました

そのお心遣いに、厚く感謝いたします。
ありがとうございました

8月8・9日(木・金)諏訪見参!@隊員募集中♪

8月諏訪に見参いたします♪

 8月8・9日(木・金)1泊2日
         御左口信仰を訪ねて~
         御左口神社・諏訪大社(前宮・本宮・秋宮・春宮)ほか、守屋山など参拝
予定


ご参加の方は歩きやすい靴でおいで下さい
今回もじっくりとご挨拶させて頂きます

神社おそうじ隊、諏訪見参 

ご興味のある方、この機会にぜひご一緒しませんか?

http://www.salondekurono.com/hw/planetarywork.html
お問合せ・お申込みはこちらへ

2013年6月15日土曜日

6月20日(木)夏至前日『夏越の清祓ワーク』

半年に一度、一年に二度執り行われる清祓ワーク

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★ 2013年夏越の清祓ワーク
神職二名、誠意を持って執り行わせていただきます。
どうぞ足をお運びくださいませ。
1年間365日を営々と営む大切な『 社 』である自分の肉体、
そして家、地域、そして日本、そして地球、
すべてへの感謝の意宣りを、
そして次の年へ向けての吉祥祈願の意宣りを届けます。

6月20日(木) 夏至前日 
13:00開始 15:00終了 直会 中華街予定

http://www.salondekurono.com/hw/planetarywork.html
お問合せ・お申込みはこちらへ

2013年6月14日金曜日

10月4・5・6日出羽見参!月山登拝@隊員募集中♪

基本、年に二回の神社おそうじ隊、見参! 「番外編」
10月に出羽に見参いたします♪


10月の4・5・6日(木・金・土)を予定しています。
神社おそうじ隊、見参!発足当初からの予定、
三貴神と言われる神を祀る
伊勢:天照大御神  出雲:素戔嗚尊  出羽:月読命
一つの大きな括りとなる出羽@月山登拝
伊勢の二〇年に一度、出雲の六〇年に一度の遷宮の年である二〇一三年の今年、
月読命の遷宮=日本人の和魂の遷宮の節目として参拝させて頂くつもりです。
ピンときた方はぜひご一緒致しましょう!
意志表明、なるべく早めにお願いいたします。

http://www.salondekurono.com/hw/planetarywork.html
お問合せ・お申込みはこちらへ

錬達叡々: 2013.6.5~6 神社おそうじ隊 見参!福島ご当地隊 その3



『岩代の國一之宮・伊佐須美神社』(楼門)。
第十代天皇崇神天皇十年、大和朝廷から派遣された四道将軍として,北陸道を北上した大毘古命(オオヒコノミコト)と,東海道を北上した建沼河別命(タケヌマカワワケノミコト) がこの地で会い、それを起源として相津(会津)の名が起こったと伝承される(「古事記」)。

御祭神は、伊弉諾尊・伊弉冉尊・大毘古命・建沼河別命
御祭神四柱を総称して「伊佐須美大明神」と奉称している。



2008年10月に拝殿、本殿、神楽殿などが焼失した。
現在は仮本殿で、

着工したらば…

となる予定だそうです…(かつての出雲大社がモデルかな)。


神鶏。

会津五桜のひとつ、「薄墨桜」。

天海僧正の手植桧。


ここから一挙に、舞台は猪苗代へ。

この
『小平潟天満宮』
「北野天満宮」「太宰府天満宮」と共に、日本三大天満宮の1つに称する見方もある。

「天暦二年(948)、近江国比良神社の神主・神良種は摂津国須磨で見つけた、菅原道真の神像を祀る地を捜す旅の途中、猪苗代湖畔に辿り着きました。良種はその地で休み、再び歩き出そうとしたところ神像が急に重くなり動かなくなってしまいます。よくみるとその地は須磨とよく似た景色でした。そのため良種はこの地は神像に選ばれた地と判断し、耶麻郡大領上毛野陸奥臣に申し出て天満宮を勧請したのです。このとき、小出方村という地名だったこの地は摂津国平潟にちなんで小平潟に改められました。」(ご由緒より抜粋)


「流造」という建築様式だそう。




この札に沿って歩くと…

鎮座されています。



神秘的でもあり、幻想的でもあり…。
眺めるだけで心穏やかになるような猪苗代湖畔。
その風景を心に沁み入るほど身近にする『TARO CAFE(タロカフェ)」でランチ。
カフェ好きの間では、知る人ぞ知るお店のようです。



もはや絶品のレアチーズ。

タロール。

シフォン。

濃厚ベイクドチーズ。


しばし堪能したあとに、目指したのは・・・ 


『土津(はにつ)神社』
会津藩主松平氏の祖、保科正之公を御祭神とし、相殿として三代藩主から九代藩主を祀っている。
正之公は、晩年に至るまで神道を尊信し、吉川惟足を師とし専ら卜部神道の伝を学び、道の奥義を極められた、とご由緒に伝わる。
寛文十一年(1671)、公は惟足から霊号を「土津」と奉られている。



境内に入るや、今回のご当地隊・Tさんに熱くこみ上げるものが…。
初めて参拝に訪れ、つい先ほどまで多くの神社のなかのひとつ、であったこの神社は、この時からTさんにとって特別な社(やしろ)となりました。
連綿たる意識の流れ、その顕れである「いま」という時空間のなかでスピリットは共鳴呼応するものなのだなと、改めて…。


奥宮へと。



そして、隣接している

『磐椅(いわはし)神社』
延喜式内社勅祀社・神階正一位・旧県社・陸奥国神従四位.会津総産土神として知られる。
御祭神 大山祇神・埴山姫命
相殿 木花佐久夜毘賣命・磐長姫命・品陀和氣命・息長足姫命

起源は古く、応神天皇の御代(弥生時代)の神功皇后摂政50(250)年、武内大臣の巡視の時に勅命を奉じ、大山祇神・埴山姫命国土開発のカミとして磐椅山[いわはしやま](現在の磐梯山)の頂上に鎭座。
その後、聖武天皇の御代(奈良時代)の天平元(西暦729)年8月25日、見祢山南麓の現在地に遷座したという。
保科正之公は、「余の没後は神道の礼をもって磐椅神社の神地に葬ってもらいたい」という遺書を老臣たちに与えたという。




会津五桜のひとつ「大鹿桜」。

天然記念物「鳥居杉」。