2012年8月30日木曜日

近江 : 御上神社

御祭神 : 天之御影命
御神紋 : 釘抜紋
境内社(摂社・末社)
若宮神社(重文) 三宮神社(県文) 大神宮社 竈殿神社 御鍵取神社 愛宕神社
御由緒
祭神天之御影命は、第七代孝霊天皇六年、三上山に降臨になったので、神孫の三上祝等は三上山の巖の磐境を、神体山と斎い定めて、約一〇〇〇年の間奉斎された。山は標高四二八米で山麓から山頂まで、岩磐が連って山頂には、大きな磐座がある。奈良朝に至って、天正天皇の養老二年藤原不比等が勅命を拝して、飛弾の工匠を造営使として、榧木原と称せられた現在の榧の木で、社殿を造営して奉遷鎮祭された。本殿の背面には、扉を設けてあるが、これは祭典時にお山を拝んだ神体山信仰の遺構を示している。旧六月十八日には、毎年祭神降臨の日を記念して、山上祭を奥宮で斎行して下山し、引続き本宮で奉斎の影向祭が行われる。社記によると、当社の神領は、古代山千町、河千町、田千町と記され、甲賀郡横田より下は、野洲川吉川に至る五十余郷を有し、守護神として、朝野の崇敬極めて篤く、清和天皇貞観元年神階授与より、再々神位が授けられて同十七年には従三位に叙せられた。醍醐天皇延喜の制度では、名神大社に列せられた月次新嘗の班幣に預らせ給うた。更に円融天皇天延二年勅願所と定められ、宝祚無窮四海大平の御祈りをせられた。降って、武家執政の世となって崇敬変りなく、殊に源頼朝を始め、徳川幕府に到るまで、代々神領を寄進して造営し崇敬が深かった。逐年社頭を整備して、大正十三年官幣中社に列格。【滋賀県神社庁HPより】

 










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