2012年8月29日水曜日

近江 : 多賀大社

御祭神 : 伊邪那岐命 伊邪那美命
御神紋 : 左三ツ巴
境内社(摂社・末社)
摂社日向神社 子安神社 神明両宮 蛭子神社 金咲稲荷神社 天神社 熊野神社 熊野新宮 三宮神社 聖神社 竈神社 年神神社 天満神社 愛宕神社 秋葉神社 (境外社) 摂社山田神社 高松神社 楫取神社 祖母神社
御由緒
伊邪那岐命 伊邪那美命二柱を奉齋し古来より寿命長久、病気平穏 縁結びの神として全国に広く崇敬者を有している。鎮座年代は『古事記』上巻に「伊邪那岐大神者、坐淡海之多賀」と見え、古事記が撰進された年代からして鎮座は8世紀以前といえる。『延喜式』巻十に「多可神社二座」と見え、伊邪那岐命、伊邪那美命の2神共に国幣に預かられた事がわかる。鎌倉時代には神官権御家人による衆議制により神社が運営された。後醍醐天皇のとき五辻宮守良親王が朝敵誅伐を祈請せられ多賀庄半分を社領として寄進、室町末期従前の衆議機関に代って神宮寺である別当不動院が台頭し守護職佐々木一統、後には信長、秀吉の擁護も会って坊人達の活躍は目覚しく、諸国に御神札を配し民衆にその後神徳を広めた。特に秀吉は天正16年生母大政所の病気平穏、延命の祈願を寄せ、その御礼として米1万石を寄進された事は有名。元和15年徳川秀忠より350石の神領の寄進を受け、寛永15年には不動院大僧都慈性が徳川幕府の助力によって本殿以下諸堂社、末社に至るまで大造営がなされた。降って慶安4年井伊家より150石の神領が加増された、明治10年県社兼郷社、同18年官幣中社、大正3年官幣大社に昇格、昭和5年より8年にかけ昭和の大造営が行われ社頭の面目を一新した。近年では中世以来の信仰を受け継いだ多賀講を始め、崇敬会、豊年講、養蚕講等の崇敬者を中核として東海、近畿を始め全国に多くの崇敬者を有している。尚本社の他摂社、日向神社(祭神 瓊々杵尊)山田神社(祭神 猿田彦大神)は式内社である。【滋賀県神社庁HPより】










 




竈神社 年神神社
ここに全員でご挨拶させていただいた時、丁度5時のサイレンが鳴り響きました。そして二礼二拍手一拝を終えると雲間から夕日が現れ一気に境内に光が満ちました。そしてワタシのカメラもここでバッテリー切れ^^;


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