2012年4月18日水曜日

錬達叡々:番外編3 出雲見参!その5

2012.4.15~17 神社おそうじ隊 番外編・出雲vol.2 ~その5~

2012-05-22 | 神社おそうじ隊・番外編 出雲




二日目午後。
まず参拝させていただいたのは、出雲国二ノ宮・『佐太神社』
ある意味、今回もっとも興味深い神社でした。。。
出雲國三大社の一つとして杵築(きずき=出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても杵築、日御崎とともに「佐陀大社」と称えられたと、ご由緒にあります。

本殿は大社造りの三殿並列は、神社建築史上特筆すべきものといい、国の重要文化財となっているといいます




正中殿に佐太大神(さだのおおかみ)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)
北殿に天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)
南殿に素盞鳴尊(すさのおのみこと) 秘説四座の神


また、境内脇から山に続く石段を登ると、そこには伊弉冉尊を祀る磐境が。
中世に伊弉冉尊の陵墓である比婆山の神陵を遷し祀った社だという…。
御由緒には、「古代祭祀の対象であり、社殿創建以前の御神座ではないかと思われる」とあります。




そもそもこの山腹の社を教えていただいたのは、こちらの禰宜をされている方でした。
ご挨拶したらスッと通り抜けられ、そのまま女性陣にいろいろ話をされていたのが印象的でした・・・
しかし、そのお話の内容は…大変に興味深いものでした、ね



次に向かったのは、『揖夜神社』
個人的には、もっとも愉しみにしていた神社です



出雲国風土記には「伊布夜社」として記載され、日本書紀斎明天皇五年(695年)の条には「言屋社(いふや)」として登場。
「揖夜大社」「揖夜大明神」と呼ばれ、明治期に現在の「揖夜神社」となったという。

黄泉比良坂(よもつひらさか)。
火の神・カグツチノカミを産みあの世に去ったイザナミノミコトを追いイザナミノミコトは「黄泉ノ国」へ。
しかし全身にウジが這い回り、八つものイカヅチ(雷神)が湧き出し蠢くその姿を恐れ、イザナギノミコトは逃げ出し、あの世とこの世の境の坂道を大岩で塞いでしまう…その坂を「黄泉比良坂」といい、それは出雲の「伊賦夜(いふや)坂」である、と「古事記」ではされています。
この「伊賦夜」は、「揖夜神社」のあるあたりと考えられているのです。
(『出雲國風土記』には、まったく別の記述があるようですが…)



主祭神 伊弉冉命(いざなみのみこと)
配神 大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、武御名方命(たけみなかたのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)

このあたりをかつては「意宇(おう)郡」といい、古い六つの神社を総称して「意宇六社」というそうです。
その六社とは

熊野大社(松江市八雲町)
真名井神社(松江市山代町)
揖夜神社(松江市東出雲町)
六所神社(松江市大草町)
八重垣神社(松江市佐草町)
神魂神社(松江市大庭町)

とあります。


古の香り濃い、清らかな境内でした。。。



そして、『阿太加夜神社 』
「あだかや」と読みます





ご祭神は、阿太加夜奴志多岐喜比賣命(アダカヤヌシタキギヒメノミコト)。
(基本的に)12年おきに行われる舟神事「ホーランエンヤ」の発着点。
この「ホーランエンヤ」は、宮島の管絃祭、大阪天満の天神祭と並び日本三大船神事と呼ばれ、水の都・松江の誇る全国最大級の船祭りなのだそうです。。
最近では、平成21年5月に開催されたようですね






先ほどの「揖夜神社」にも同様の「龍」が・・・




ここまでけっこうな弾丸参拝ロード(になってしまった)だったのですが、夕暮れのなか、どこはかとなく落ち着きも出てきた頃合い。
本当は、あと一カ所ご参拝…といきたかったのですが、宿泊などの関係でこの日はここで終了




…そして、
前回に引き続き、ずっとお世話になりっぱなしだったご当地隊の御二方は、この二日目までの参加でした
御二方のご好意と、現地での下調べから、車、食事…などなどのご行為なくば、こうまで充実した「おそうじ隊・出雲」になるはずもなく…。
現地では、わたくしの思い違いであの場所でお別れとはわかっておらず、礼を失してしまった感もありそれは多少心残りではありましたが、心より感謝しております。
本当に、ありがとうございました




…松江の美しい街並みを眺めつつ、この日の宿泊先『マリンタラソ出雲』へ
怒濤の三日目へと、続きます。。。

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