2011年4月14日木曜日

伊勢 :倭姫宮

一、宮名とご祭神 倭姫宮(やまとひめのみや)
 倭姫命(やまとひめのみこと)

ニ、ご鎮座地
 内宮と外宮を結ぶおよそ5kmの美しい並木道路、御幸道路の中ほどに、松の緑もあざやかな丘があり、倉田山と呼ばれています。ここには神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)・農業館・美術館・神宮文庫・皇学館大学等があり、これに接する4ヘクタールの常緑の森が当宮の宮域です。参拝の順路は、JR東海伊勢市駅と近鉄宇治山田駅から三重交通神都線バス(外宮・内宮循環)の「倉田山」で下車すると、すぐ表参道の鳥居が見えます。

三、ご鎮座の由来と沿革
 倭姫命は、第11代垂仁天皇の皇女です。第10代崇神(すじん)天皇の皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで「御杖代(みつえしろ)」として皇大御神(すめおおみかみ)に奉仕され、皇大御神を戴いて大和国をお発ちになり、伊賀・近江・美濃等の諸国を経て伊勢の国に入られて、ご神慮によって現在の地に万代不易の皇大神宮をご創建されました。「御杖代」とは皇大御神の御杖となって、ご神慮を体して仕えられるお方の意です。倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして皇大御神に奉仕させられましたが、このお方を斎王(いつきのみこ)と申し上げます。倭姫命は皇大神宮ご鎮座ののち、神嘗祭をはじめとする年中の祭りを定め、神田並びに各種ご料品を奉る神領を選定し、禰宜(ねぎ)、大物忌(おおものいみ)以下の奉仕者の職掌を定め、斎戒(さいかい)や祓(はらえ)の法を示し、神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の規模を確立されました。
 このように大きなご功績をお遺しになられた命の御徳をお慕いして、大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が命をまつるお宮の創立を請願してきましたが、大正10年1月4日、皇大神宮別宮として当宮のご創立が許可され、同12年11月5日にご鎮座祭が執り行われました。
 神宮には、別宮・摂社・末社・所管社の諸宮社があり、ご由緒は極めて古く、奈良時代以前に遡るものが多いのですが、当宮は上のようなご事情により創立が極めて新しいのです。【伊勢の神宮HPより】
 
今回なぜかどうしても “行く” 気がしていた 倭姫宮【倭姫命】
ちょうどコメダブレイクしたお陰で夕陽の具合がなんとも幽玄な空間を創りだすタイミングに遭遇・・・
その瞬間、その一瞬にしか観えない光、そしてその一瞬だけ開く次元の扉
そんな刹那に出会う一瞬が 在る・・・














親切に、丁寧に、何度も道を教えて下さった社務所の宮司さんにご挨拶して、向かうは今夜の最終目的地
          

          

          
離れ難く、立ち去り難く、何度も輝く光に舞い戻された倭姫宮

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