2011年4月14日木曜日

錬達叡々:番外編 伊勢見参!その1

神社おそうじ隊 見参! 番外編:伊勢 その一

2011-04-22 | 神社おそうじ隊・番外編 伊勢

神とは…

『尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて可畏(かしこ)きもの』

と、『古事記伝』(本居宣長)には記されている(らしい)。


もともと「神社」は、神霊を斎(いわ)い祭る屋代(やしろ)から始まったとされます。

「屋代」とは、いってみれば仮の施設。
その仮の施設に、特定の鉱物や岩石、鏡、木などを依代(よりしろ)として一時的に
そこに宿っていただいたのです。

それがやがて、仏教等の影響もあって社殿が建造され、恒常的にそこにご神体として
滞在していただくこととなった、という歴史があります。






2011年4月14・15日。

『神社おそうじ隊 見参!』の、番外編として向かったのは



記紀(古事記・日本書紀)において最高至上神とされている神である天照大御神(内宮)、
そして、日本の食の安定を司る神とされる豊受大御神(外宮)の二柱を祀る、三重県伊勢市の

「伊勢神宮」


伊勢駅からバスで向かうなか、道を眺めながら、何となく違和感があった。
その違和感は何かと自分に問うてみたならば…

「あ思っていたよりも人が少ないんだ」

ということ。


駅に着いた瞬間も、
バスから降りた瞬間も、
鳥居をくぐるその前におかげ横丁をふと見たときも、
その印象は変わらず。

「前に参拝させていただいた時はもっと人も車も多かったですよ」
とは、クロノ副長の弁。
(ちなみに、私は初参拝)


やっぱり事変の影響か。。
…こうしたことにも、事変時における人の心理が垣間見えますね。

でも、そういうときにこそ、「いのり」は大切なんですけれど



さて、

そうはいっても、人もさほど多くなく、太陽もまさに天照(アマテラス)な感じの燦々模様

はっきりいって、「サイコ~」な参拝となりました。


空、山、川、木々、小鳥、カラス、岩…すべてに歓迎されている。

参道を歩けば、そこに声なき声を感じ、
立ち止まれば、そこに大いなる息吹を感じる。

やわらかで微細な、それでいて広がりを感じるその空間は、清浄を尊ぶ神道の
伝統と奥深い力に満ちていた。










さて、『古事記』では「天照大御神」、『日本書紀』では「天照大神」、そしてこの伊勢神宮では
「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と表記されるこの神は、『日本書紀』の
なかで天上天下の主宰神として生まれた、と記されています。

そういわれる由縁はいろいろあるのでしょうけれど、そのひとつに、この神がはじめて稲作の道を
示されたから、といわれています。

天孫である邇邇藝命(ににぎのみこと)が、高天原から降臨される時に稲穂をお任せになったと
される三大神勅のひとつ「斎庭(ゆにわ)の稲穂」。

現代的感覚からすれば、「何でそれで?」となるかもしれませんが、古代においては「働く」と
いうこと、稲作に従事するということそのものが神聖な行為であったのでしょう。
(こうした観念が、「稲荷信仰」ともつながるようです)





正宮にて今回の隊員のみなさまと「いのり=意宣り」を感謝の波動にてお伝えし、頭を上げた
その瞬間、それまで上がっていた暖簾は静かに降りていきました



通常「外宮」からとされる伊勢神宮参拝。
それにはそれの由縁もありますが、こちらにはこちらの由縁もあります。


「内宮」から始まった、今回の「おそうじ隊」。
次なる「いのり」の神域へと、移ります。。。

2 コメント

ありがとうございました。 (あさだ)
伊勢では、有難うございました。
お日様がたいへん美しかったですね。

気をとおす。
これが、出来るようになると、随分、生きやすいのだなと感じます。
神様へのご挨拶を、教えていただきましたようにしておりますと、足が地につくというか、地とご縁を結んでいくように感じます。

ブログを拝見して、穏やかな気持ちになりました。文章も、気をとおしておられるのですね
こちらこそ、ありがとうございました (田村)
あさだ様

ご縁をいただき、感謝感謝です。

作法を学んで思ったことは、まさにそのようなことでした。
あのようにご挨拶するだけで、姿勢も整います。

気は・・・そうあるのでしたら、そうであるのでしょう

またの機会、
よろしくお願いいたします

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