2013年8月21日水曜日

錬達叡々: 2013.8.7~8 神社おそうじ隊 諏訪見参! その4

2013-08-21 | 201308 諏訪見参


旧御射山社(霧ケ峯本御射山神社)
なぜか、四隅に「御柱」。

東西270メートル、南北370メートル。
八島湿原の南端、コロッセウム状の窪地となっているその場所は、1941年に発見されたという『旧御射山(もとみさやま)遺跡』
近年の調査で多数のカワラケ(土器)が出土。
旧御射山祭の盛大な神事が行われる祭儀・競技場であったことが判明している。

「鎌ヶ池を距(へだて)る東南数町、山梨(エゾノコリンゴ)の老樹の下に一つの石祠が祀られて居り、此の付近一帯の地を旧御射山といいます。旧御射山は太古から江戸時代の元禄頃まで、諏訪社下社の御射山祭の行われた所であります。元禄年間の祭場は、下社に近い武居入の地に変更され、現在此処で御射山祭が行われて居ます。それ以来霧ヶ峰の旧御射山は、全くの遺跡地となりました。
(『御射山祭の話』・伊藤富雄  より引用)



早朝、諏訪湖で軽くエネルギーワーク。



美味しい朝食を全員でいただき…。


山道を抜け…



広大な湿原を抜けて目指したのが、「旧御射山遺跡」でした。







「…諏訪は遥か後代まで、狩猟,牧馬等の原始産業が盛んに行われた土地であります。斯る特殊な生産事情を反映して、諏訪の武士は射芸に秀で馬芸に巧みで、既に平安朝時代から其の武名は天下に高かったのであります。それで上社の大祝も下社の大祝も、既に早くから武士化し、源氏と濃厚な関係を結ぶに至り、遂に其の御家人に列するに至りました。源頼朝が鎌倉幕府を開くや深く諏訪神社を崇敬し、厚い信仰を寄せましたが、それは神氏族や金刺族の武士団に、深い期待をかけたが為であります。鎌倉幕府尊敬の神社は、御成敗式目追加に拠るに、伊豆、宇都宮、三島、熱田、六所宮、鶴岡、鹿島、香取、諏訪上下、筥根、日光の十二社でありましたうち熱田諏訪上下の三社以外は、皆頼朝創業の地関東の神社であります。また熱田は其の大宮司家が頼朝の母の生家だった関係によるものであります。ただ諏訪上下社が幕府より遠ざかった神社であるにも関わらず、其の尊敬を受けたるは最も注目すべきで、以て諏訪神社の位置を窺うに足りるのであります。(引用同上)



そして、



最大傾斜35度、長さ100mの「木落とし坂」
15mの御柱が、ヒトを大勢乗せてこの坂を滑り落ちる…。








祭事の安全は、「木落社」の御祭神・大山祇神に祈願される。

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